朝は、こんな傷など無かった筈だ。否、本当にそうだろうか?掌など確認しなかった。
しかしラチェット達がこんな傷を見逃す筈が無い。
だとすれば、一体いつだ。自分が談話室にいた間に、か?
「・・・・」
言葉を亡くしたままのスカイファイアーに、スタースクリームもまた戸惑った様に呟く。
「こんなの、自然につくモンじゃねぇだろ?分析するに、俺が――――つけたモンらしい」
スタースクリームの推測を証明するかの様に、彼の指先は塗装が削れて潰れており、それらは傷口の形状や付着した塗料と一致する様に見えた。
「・・・」
痕に触れ、スカイファイアーは強く唇を噛み締めた。
この傷を刻んだのは、恐らく――――記憶のある“彼”だ。
12.
「・・・気に、なるのかい?」
やっとの思いで絞り出した声は、掠れて酷い有様だ。
それでもスタースクリームは不審に思った様子もなく、スカイファイアーを見上げている。
「そりゃこんな痕あったら、誰だって気にするだろ?自分がつけたってぇのに、その理由も思い出せねぇときた」
苦笑は、忘れてしまった自分自身へ向けたものだろう。嫌味もなく笑う姿に、スカイファイアーは内心酷く胸を痛めた。
「ブレインじゃなくて、態々手に刻んだんだ。多分―――それだけ忘れたくねぇもんだった筈なんだ」
「・・・・」
刻まれたそれを、名前だと言うのは簡単だ。
けれどそのアンサーを、スカイファイアーは口に出来なかった。
スカイファイアーの知る“スタースクリーム”は、己の機体を常に意識していて、少しの汚れや傷も許さない『綺麗好き』だった。
ほんの少しの傷でも騒いで、研究所のリペア技師をしょっちゅう呼びつけていたものだ。
そんな彼が、自らの手で機体そのものに記録したのだ。忘れたくないものとして、必死に刻みつけた。
デストロンの2としての存在の証などではなく――――ただ、スカイファイアーの名前を。
その思いの強さに、自分が何をしようとしていたのか思い知らされた。
「なっ・・・オイ、」
不意に、スタースクリームがうろたえた。
戸惑った声音に現実へ引き戻され、そこでスカイファイアーは彼の動揺の原因に気付いた。
ぽたぽたと零れ落ちる冷却液は、自分のアイセンサーから溢れたものだったのだ。
「なんで、泣いてんだよ・・・・・・・・俺、なんか、不味い事、」
「違うよ」
驚きにアイカメラを見開いているスタースクリームに、無理やり笑顔を作ってみせた。
「私は、また君を裏切っていたんだ」
「あ?」
「私は、『君』を否定したんだ。今の君が許せないからと、状況を利用して傲慢にも己の望む姿にしようとしていた」
それは忠誠を誓わないからと彼を否定し、作り替えようとしていたデストロンと何が違うのだろう。
最も嫌う存在と同じ考えで彼を変えようとした事実に、スカイファイアーは気付いていた。
気付いていたのに、自分を正当化する為に見ないフリをしていたのだ。
さも親切な友のふりをして、スタースクリームから全てを奪おうとした。
けれど“スタースクリーム”は、それを許さなかった。
現実から目を背けようとするスカイファイアーに、見せつけたのだ。
忘れたくないものがあるのだと、必死に主張した。
そして“スカイファイアー”を忘れた今でさえも、無意識に探している。
強く、強く求めている。
「私は、君が何を選択し、どう変わっていったのか、まずそれを知るべきだった」
のうのうと眠っていた自分と違い、彼の時間は積み重ねられ続けた。そんな事は当たり前だ。
何百万年を経て、彼が自分を覚えていてくれた事に歓喜した。
自分達機械生命体は、忘れようと思えば忘れられるのだ。
それでも彼は気の遠くなる様な時間の間、ずっと覚えていてくれた。
だが自分は、何も判ろうとしなかった。
彼が覚えていてくれた意味を考えもせず、隔てた歳月の分変わった彼を無知のまま否定し、その記憶さえ奪おうとしていたのだ。
「私は、最低だ」
ほろほろと泣き続けるスカイファイアーに、スタースクリームは困惑したままだった。
慰めようにも何が原因でこの状況になったかさえ、判らないのだ。
ただ傷の事を相談しただけだったのに、気がつけば彼は泣いていた。
気の利いた言葉も浮かばず所在なく見上げているうちに、ふと彼の白い主翼に目が行った。
「・・・・」
この翼に、見覚えがある気がした。
それはあるはずの無い感覚だった。
この技師とは今日初めて会うのだから、見覚えなどある筈が無いのに。
こんなに大きな機体と出逢ったらそうそう忘れない筈だし、ブレイン内のデータには彼に該当する存在は記録されていない。
それでも、彼を見た気がするのだ。
一体何処でだろう。
思い出そうとブレイン内を再検索するものの、白い靄の様なバグが掛かってうまく読み込めない。
だが靄は次第に意識レベルにまで侵食し―――――――――
ぷつん、と音を立ててスタースクリームは崩れ落ちた。
「、」
いきなり強制終了した体を反射的に抱き留め、スカイファイアーは深く排気した。
どうやらスタースクリームが強制終了を起こす程長い間、泣き続けてしまったらしい。
冷却液も枯れ、急な生成に圧迫された他の器官が微かなエラーを訴えている。
その音には耳を傾けず、スカイファイアーは天井を見上げた。
いつの間にか回転を止めてしまったプラネタリウムは、固定したかの様に星空を部屋中に留めている。
音の無い、静かに瞬くあの頃と同じ美しい世界。
星の海の中で、スタースクリームと二人、飛び続けた時間そのものだった。
傍にいる存在も含めて、失ったものばかりだ。
だがそれがどんなに愛おしくても、手離し難くとも。
今あるものはすべて一時的な、つくりものの世界だった。
自嘲する様に笑んで、スタースクリームの頬を撫でた。
「君が目覚めたら―――共にラチェット達の所へ行こう」
聞こえる筈が無いと判っていても、言葉にしたかった。
「私は君を望むよ。どれ程恨まれようと蔑まれようと・・・・『君』を、望む」
彼の記憶は、あとどれ程残っているだろう。
その僅かな残滓を以て、スタースクリームは詰るかもしれない。罵倒して、拳を振り上げるかもしれない。
それでも良いと、思った。
「君を失うより、遥かにましだ」
たとえ名を刻んだ理由が、憎悪からであってもいい。
どんな思いから来るものであっても、彼は―――――――スカイファイアーの名を覚えていたいと、こんなにも望んでくれたのだから。
己の名を刻まれたその拳に、スカイファイアーは静かに口付けた。
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