スカイファイアーとケーキの妖精さんのおはなし
その日スカイファイアーは、酷く疲れていた。
ここ暫くの間、研究室に籠り切ってずっと論文に取り掛かっているのだ。
時折同僚が声を掛けてきた気がするが、それがいつの事だったかも思い出せない。
―――休憩を最後に取ったのが、いつだったかも定かではない。
モニターを見続けていたカメラアイをふと外に向ければ、視覚センサーにエラーが発生した。
「っ・・・・」
思わず掌で覆うものの、ただ腕を上げたその動作だけで機体のあちこちが軋んだ。
どうやら自分で思っていた以上に、時間は過ぎていた様だ。
ちらりと時計を見遣れば、苦笑せざるを得ない事になっていた。日付を二つほど跨いで、更に三つめも越えようとしている。
「参ったな」
時間の経過を認識すると同時に、エネルギー残量が底を尽きかけているのが判った。
これでまた論文作りに戻れば、同僚が出勤してきた頃にエネルギーを使い果たした姿で発見されてしまうだろう。
同僚のからかいを防ぐ為にも、まず何か摂取しなければ。
本来スカイファイアーには、こことは別に個人の研究室が宛がわれている。
にも関わらず畑違いのこの合同実験室を間借りさせてもらっているのは、一重に機材が無いためだ。
論文発表の場で作るスライド作成機が、彼の研究室には備わっていない。
遅くまで鍵を借りている事を申し訳なく思うものの、普段の態度が良い為か本来の持ち主らは嫌な顔一つしない。
デスクトップ上のデータを一時保存し、何か買いに出ようと席を立つ。
研究所内の売店が昼夜を問わず営業しているのは、こういった論文を抱えた者の為なのだろう。
スカイファイアーの他にも、分野違いだが同じ境遇で呻いている連中は多い筈だ。
さて一番手っ取り早く補給出来る固形燃料は、まだ残っているだろうか。
大きく伸びをすると、暫く動かなかった為にバランサーに影響が出てよろめいてしまった。
――――願わくば、エネルギー不足によって生じた誤差ではないと、願いたい。
部屋の鍵を何処に置いたかとアイセンサーの認識領域を調整すると、そこでスカイファイアーはあるものに気がついた。
デスクの端にちょこんと置かれた、白い箱。
労いと共に、この部屋の持ち主の名が記されたメモが貼ってある。
どうやら退出間際、スカイファイアーに差し入れてくれたものらしい。
声を掛けられただろうが、自分のメモリーには応じた記録が無い。
贈り主はそんな事も承知の上でメモを貼ったのだろう、申し訳ないと思いながら、同時に気遣いを有難く思った。
だがメモを剥がし箱の中を見て――――スカイファイアーは、もう一度メモを確認するという行動に出た。
箱の中を覗く。
メモを見る。
それを四度程繰り返して、五度目に差しかかろうとした所で、小さな手が翳された。
「いつまでやってんだテメェは」
「・・・・すまない」
『箱の中身』の、至極真っ当な意見につい謝罪してしまう。
研究所内で最も大きい機体であるスカイファイアーが、自身の掌程しかない箱に向かい謝罪するという光景は中々シュールだろう。
―――同僚のメモに記された差し入れの中身は、手っ取り早くエネルギーを補給出来る高濃度エネルゴンケーキという事になっている。
確かにケーキは入っている。
だがその一切れとほぼ同じ大きさ、同じ色合いをした小さな機体があるとは誰だって思わないだろう。
どうしたものか真面目に考え込むスカイファイアーを余所に、ケーキの『同封物』は勝手に箱から這い出た。
箱の縁に掴まり一息ついた姿は、一見すると物凄く小さなトランスフォーマーの様にも見える。
確かに小さいトランスフォーマーも存在する。大体はミニボットと呼ばれ研究所内でもよく見かけるが、同封物は彼らよりもずっと小さい。
他者が見たら悲鳴を上げるなり逃げ出すなり、とにかく大騒ぎになる筈なのだがスカイファイアーはどこか冷静だった。
惑星探査員などやっていると、滅多なものでは驚かないものだ。
もしくは、彼はただエネルギー不足によってブレインサーキットが正確に働いていないだけかもしれない。
その証拠に、じっとこちらを見上げている赤いアイカメラを見ても“エネルゴンいちごと同じ色だな”という印象しか抱かなかった。
箱のアスレチックを乗り越えた同封物は、蓋を使い器用にデスクへ降り立つや踏ん反り返って笑う。
「・・・ふん、やっぱり俺様が見えてやがるんだな?」
「そうだね」
見上げている癖に見下した様な態度は、他の者が見れば思わずデコピンの一つも飛ばしたくなる程生意気だ。
しかしスカイファイアーにとってはこの極小の機体が随分精巧で――――表情豊かな事に感心していた。
短い手足もよく動くし、よく見れば自分と形こそ違えど主翼さえ背負っている。
じっと見つめるスカイファイアーの目の前で、ふわりと浮いて目線を揃える事さえやってのけた。
「思ったより驚かねぇな。ぎゃーぎゃー騒がねぇのは褒めてやる」
「有難う」
目線を揃えてくれた事で、ずっと観察し易くなった。
ぷかぷかとホバリングする機体に手を差し伸べてやると、丁度良い位置を見つけたと素直に降り立ってくる。
不思議と、重さは感じない。
「ところで君は、何なんだい?」
至極真っ当な質問だった。
だがその問いに対し、掌上の機体は小馬鹿にした様に舌打ちし、答えた。
「俺様はこのケーキの妖精だ。見て判らねぇのか」
――――常人ならば、この威張る機体にツッコんだだろう。
しかしスカイファイアーは、素直に信じてしまった。
「成る程」
言われてみれば、確かに『羽』も背負っている。
「全く、見た目で聡いと思った俺が馬鹿だったぜ」
「見込み違いをさせてしまってすまないね」
ブレインサーキットが平常通り動いていない為か、スカイファイアー自身の性格に因るものか。
箱に残るケーキと見事に同じ色をしている為に、彼はすんなりと自称妖精の主張を受け入れた。
「俺様が見える奴には、いいことがあるぜ」
「それは楽しみだね」
殆どの職員が退出した筈の研究室で、話し声がする。
聴覚センサーの故障かと思いつつ、巡回を行っていた警備員が確認の為ドアを開けると――――
そこには、何もない筈の空間に向かって楽しそうに喋り続ける白い大きなトランスフォーマーがいた。
「・・・」
この時期は、多忙の余りブレインにエラーを起こす機体が多い。
長年の勤務で幾度もそれを目にしてきた警備員は、白い機体に同情してからそっとドアを閉じた。
* * *
翌日、出勤してきた同僚らにスカイファイアーは丁寧に差し入れの謝罪と礼を述べた。
「君はウーマンサイバトロンと味覚が似ていると聞いたからな。すぐエネルギーになるし、良かっただろう」
部屋の主のからかいに、スカイファイアーも苦笑して肩を竦める。
「ええ。ただ一晩中話をしていてその分論文の進みが遅れてしまいました」
「それはいかんな・・・・・・・何?」
「彼があまりにも聡明なもので、夢中になってしまったんです」
「・・・・誰か来ていたのかね?」
「はい。妖精さんが」
「・・・・・・・・・・・・スカイファイアー、君が最後にスリープモードに入ったのはいつだね?」
「四日程前ですが」
にこにこと笑みを浮かべるスカイファイアーは、とても機嫌が良いらしい。
反対に、同僚の方はとても悲しげな表情に代わってしまった。
「そうか。可哀相に、休めと言ってやれないのは酷く残念だが・・・・君は優秀な職員だ。ブレインが正常に戻る事を願うよ」
「?ありがとうございます」
本来は肩を叩きたいのであろうが、体格差から肘の辺りを軽く叩き、同僚はゆっくりと去っていった。
その背中を見送りながら、スカイファイアーは不思議そうに首を傾げていた。
「もう少し彼の事を話したかったんだが・・・・・」
本当に、楽しいひと時だったのだ。
件のケーキも、とても美味しかった。
スカイファイアーがケーキを口に運ぶ度に、彼は美味いだろう?と訊ねてきた。
美味しいよ、と答えればその度に得意げに笑む。
その笑顔が、とても可愛らしかった。
「――――さて、論文に戻らなくてはね」
お菓子の妖精は、スカイファイアーに何かいい事があると言っていた。
何が起こるのか判らなくてどきどきするが、願わくば。
もう一度あのケーキ色の妖精さんに会いたいと思いながら、スカイファイアーは再び論文作成に取り掛かった。
************************
スカイファイアーに「妖精さん」と言わせたかっただけです。
〜5/30 拍手ログ。