小さな幼年体が、泣いていた。
『どうしていっしょにいたらいけないの』
大きなアイカメラからは、ぼろぼろと雫が溢れている。
泣き止む様子のないその幼年体に、己の手が不器用に触れる。
『泣くな、――――――』
ああ、これは夢だ。
***
「………」
寝台から身を起こしながら、メガトロンは今しがたの夢を振り返っていた。
随分とまあ、懐かしいメモリーが出てきたものだ。
まだ自分が最下層の、剣闘士として生きていた頃の記憶。
寝台は固く、床は冷たい。
手はいつも傷だらけで、荒れていた。
その手が初めて他者を“撫でる”事を知ったのも、ちょうどその頃だ。
ひどく懐かしい、泡沫の記憶。
当時メガトロンはまだメガトロナスと名乗り、剣闘士として生きていた。
サウンドウェーブと知り合ったのもその頃で、闘技場で出会えば互いに好敵手として刃を交え、皮肉混じりに互いの健闘を称える、そんな間柄だった。
既に最強の称号を手に入れつつあったメガトロナスが、一体のトランスフォーマーと出会ったのもその頃だった。
鍛練中に、偶々飛行型の幼年体を拾ったのだ。
まだ雛の域を脱したばかりであろうそれは、育み親とはぐれたのか一人きりで座り込んでいた。
当初メガトロナスは、それを奴隷だと思った。
闘技場に来ていた奴隷商が、取り逃がしたのだろうと。
飛行型は珍種だったし、その幼年体ともなれば高値で売買される品だ。
薄汚れてはいるものの、幼年体の見目は良かった。
だからきっと、これの用途は良くて鑑賞用、悪くて性奴だろう。そう思うと同時に、哀れに思った。
この星がそんな未来しかもたらさない事に、メガトロナスは深い失望を感じた。
だからだろうか、幼年体がこちらを見ていることにすぐ気づけなかった。
強く光るそのアイカメラに見つめられている事に漸く気付くと、メガトロナスは僅かに笑んだ。
遠い昔の自分に似た瞳だと、そう思った。
「…」
やがて踵を返したメガトロナスに、何を思ったのか小さな幼年体はついてきた。
成体の歩幅に置いていかれぬ様、懸命に走って。
そうして、不敗の剣士メガトロナスに奇妙なお供がついたのだった。
初めのうちは付きまとわれる事に煩わしさを感じ邪険に扱っていたが、そんな仕打ちを受けて尚幼年体は離れなかった。
メガトロナスが試合後にシャワーを浴びていれば、いつの間にかタオルを手にブースの外で待っており。
鍛練に打ち込んでいれば、エネルゴンドリンクを用意してじっとこちらの姿を見ている。
世話人紛いの真似を最初は嘲笑ったものだが、暫く続いていたその光景がふと途切れた時には、気になって鍛練もそこそこに柄にもなく探してしまった。
―――見つけた時には、幼年体はメガトロナスのタオルに包まれる様にして眠っていたのだが。
傍に積まれた、不器用な畳まれ方をしたタオルの山を見れば、作業途中で寝てしまったのだと判る。
深く排気しながら、メガトロナスはこの幼年体がいつの間にか自分の深いところまで入り込んでいることを自覚した。
見つめている間にちびは漸くスリープモードから起動したらしく、うとうとと欠伸を溢し―――ひどく近い距離にあったメガトロナスの顔に気付き慌てた。
何やら謝罪の言葉を並べ立てる姿に、そういえば付きまとわれる様になってからこの幼年体には叱責しか与えていなかったのだと気付く。
許しを乞い、置いていかないでと泣きべそをかき始めたそのちびを、メガトロナスは黙ってつまみ上げた。
「メシだ」
ついてくるのだろう?
小さくぼやけば、摘まんでいた指先に、ぎゅっと握り返してくる感触があった。
いつの間にかそれが隣におり、その存在が当たり前になっていた。
不敗のメガトロナスと小さな幼年体の取り合わせは他の剣闘士達の格好のからかいの種になっていたが、彼らのアイカメラにも馴染んでしまったのだろう。
幾度か刃を交えた機体が、ちびに声をかける。冗談混じりに”俺のセコンドにならないか“と誘われる度、ちびは真っ赤になって拒む。
おれはめがとろなすのパートナーなんだぞ、と吠える姿が可笑しいのだ。
その叫びを聴覚センサーに捉える度、メガトロナスにも自然と笑みが浮かぶ。
怒ってこちらに駆け寄ってきたそのちびをつまみ上げて宥めてやれば、いつかの様にぎゅうぎゅうと指を捕まれる。
不機嫌そうに揺れる背中の主翼が、玩具じみていて可笑しい。
――――そういえば、これはいつ飛ぶのだろう。
漠然とした疑問が、今日に限って溶け残った。
ちびを手放そうと決めたのは、その疑問が驚愕に変わった直後だった。
鍛練の傍ら、メガトロナスは独学で読み書きを覚え書物に手をつけていた。
ちびが寝静まった頃に古いデータパッドを取り出すのは日課で、寄り掛かる極僅かな重みを感じつつ液晶のモニターを眺めていてふと、この頼りない幼年体について調べてみようと思ったのだ。
苛立つほど遅い読み込み時間を経て、データパッドはとあるトランスフォーマーのデータを表示した。
シーカーズと呼ばれる、他の飛行能力を有した種とは一線を画する存在。
『ジェットロンは特に稀少であり、孵化した時から飛行能力を備えている。外敵から身を守る為である』
思わずメガトロナスは傍らの幼年体を見やった。
特徴は全て当て嵌まる。だが今メガトロナスに寄り添い眠るちびの翼は、時折羽ばたくだけで空に舞い上がる事は無かった。
―――――発育不良なのだ。
奴隷商人が取り零したのだろう等と思っていたが、その発育不良故に捨てられた可能性はある。
どちらにせよ、この闘技場が幼年体に適した世界でない事は明らかだった。
メガトロナスが己の鉤爪で傷つけない様、恐る恐る触れれば幼年体は屈託なくその手にしがみ付き寝息を立てる。
寝ぼけているのだろう、それでもその振舞いは起きている時と同じだ。
誰もが恐れる不敗のメガトロナスに、何の躊躇いもなく笑い掛ける。一生懸命、ついて来る。
その必死な姿に絆され、傍にいる事が当たり前だと思う様になってしまった。それが、おかしかったのだ。
ちびを手放して、まっとうな環境に返してやらねばならないだろう。
小さな温もりからそっと手を抜き、メガトロナスは部屋を後にした。
貸りを作らねばならない相手が一人、出来たのだ。
あまり時間を費やす事なく、シーカーズの一人と接触出来たのは僥倖だった。
闘技場の選手の一人が、外部の知人の協力を得て真っ当なシーカーズを探し当ててくれたのだ。
大きな貸りを作った事を身構えるメガトロナスであったが、その“同僚”が望んだ見返りはメガトロナスとの試合を組む、それだけだった。
――――そうして、別れの日は早くに訪れた。
聊か体躯の良いトランスフォーマーは、シーカーズである証拠に大きな主翼を背負っており。
突然現れた同族に呆然としているちびに、“客人”はじっと翼をはためかせ検分していた。
やがて気が済んだのか、シーカーズはメガトロナスに向き合い丁重な礼を述べた。
数が少なく、誘拐に悩まされるシーカーズにおいて、最優先すべきは同族の保護だ。
一度奴隷商に攫われた幼年体が戻る事は稀なのだと彼は話した。
剣闘士相手には勿体ない程丁重な謝礼を受けつつ、メガトロナスは黙って己の足の影に隠れていたちびを振り返った。
連れて行く、というシーカーズの言葉に、幼年体は身を固くしてメガトロナスの装甲を掴む。
「やだっ!」
いかない、とちびが泣く。
過日の奴隷商を思い出すのだろう、大きなアイセンサーからはぽろぽろと洗浄液が溢れていた。
「わがままいわない、だからよそにやらないで」
しがみつく腕は細い。だというのに、力は歴戦の剣闘士並に強かった。
「おい・・・」
「めがとろなすといっしょがいいんだ。そらなんてとべなくていい」
「―――」
「オマエなんてお呼びじゃない!!おれは、おれは・・・・・・・・っめがとろなすと、いるんだ・・・!!」
シーカーズを見遣れば、彼は困った様に眉を寄せていた。
空を飛ぶ事を本能とするシーカーズにとって、それを否定する事は不可能だ。
かと言って無理に連れて帰れば、この幼年体は地を恋しがって弱るだろう。
深い溜息に、メガトロナスもまた息を吐いた。
そうして、今までにやった事のない事をした。
泣きじゃくるちびに膝を折り、目線を近づけてやる。
眠る時ぐらいしか近付く事のなかった顔だ、こうやって明るい場所で見たのは初めてだった。
「命令だ、行け」
「なんで・・・」
どうしていっしょにいたらいけないの。
フェイスパーツが溶けてしまうのではないかと思う程泣いているちびの涙を拭ってやれば、一層大きな粒がメガトロナスの指を濡らした。
剣を握り試合相手を叩き伏せる事ばかり行ってきたメガトロナスにとって、この幼年体の機体熱は温かかった。
装甲は柔らかかった。甲高い声は、心地良くもあった。
けれど自分はろくに構いもしなかった。
翼があると知りながら違和感さえ抱かず、それどころか名前さえ与えなかった。
今度はメガトロナスが与えなければならないのだ。
「泣くな」
今一度涙を拭ってやり、メガトロナスは出来る限り優しく言い聞かせた。
「貴様が望むのならば、傍に置いてやる」
「ほん、と・・・?」
「ああ。だがそれは貴様が飛べる様になったら、だ。この星の誰よりも速く、な」
「んな、の・・・」
途端表情を曇らせるちびに苦笑し、額を軽く小突いた。
メガトロナスにしては充分に優しい行為だ。
「出来んなどと言うな。これは俺の傍にいる条件だ」
「・・・・わか、った」
額を押さえながら、ちびは必死に涙を堪え頷く。
「いちばんはやくとべる様になったら、戻ってきていい?」
「ああ構わん。この俺の右腕として堂々名を名乗るといい」
「みぎ、うで」
「そうだ。―――餞別に名をくれてやる。貴様は今後スタースクリームと名乗れ」
ちびはメガトロナスが与えた名を、酷く大事なものの様に繰り返し呟いた。
やがて“フライト”の時間なのだろう、シーカーズが目配せをし主翼を展開させた。
差し出された腕をちび―――スタースクリームが、おずおずと受け取る。
不安そうに振り返る背を後押しする様に、メガトロナスはじっと見送り続けた。
やがてシーカーズの腕に抱かれ、ちびは空の彼方へ消えて行った。
薄く長く引かれた雲の線は、シーカーズからの餞別だろうか。
闘技場から見える空は極僅かだが、真っ白な線は宵の空にどこまでも続いていた。
* * *
まったく、随分と懐かしい記憶が再生されたものだ。
今は名をメガトロンと改め、剣闘士としてではなく急進派の若手政治家として活動している。
やり方を非難される事もあるが、必要な事だと断じている。
しかしあまりにも多い妨害に、辟易していた。
故に、ブレインが古い記憶を掘り起こすバグを生じさせたのだろう。
今日の会合とて実りは何ひとつ無く、それはまたメガトロンのブレインを軋ませる原因にもなる。
「――――――久しぶりに、飲むか」
秘書を務めるサウンドウェーブに、外で飲む事だけ伝えて部屋を出る。
行き先を告げずとも、情報型に機体を換装したサウンドウェーブならば簡単に突き止められる。
それに政治家になってからというもの、メガトロンが向かう店は一つきりだった。
無口になった馴染みの友人は、そんなメガトロンを黙って見送った。
自分の席がいつも空けてあるのは店主の計らいだろう、その待遇に満足しつつ腰を下ろせば、ボックス席のあちこちから視線を感じる。
急進派として有名なメガトロンがいる事が、彼らの好奇心を刺激したのか―――だが、そう思ったのも束の間だ。
来店を告げるベルに合わせて、メガトロンに集まっていた視線が一気に入口へと集められる。
それが暫く固定されたままである事には疑問を抱かなかったが、視線を集めた“客”がメガトロンの隣に座ったのには、聊か驚いた。
天を目指す様な主翼と、磨き抜かれた濃い灰色。
華奢で優美な細い体つきは何処か艶めかしく、気だるげに組んだ長い脚には誰でも目が行くだろう。
シーカーズ、それもジェットロンが来たのだ。
首都でも滅多に御目にかかれない希少種だが、こんな風に独りで他者の隣に座るという事は “客待ち”だろうか。
バーテンにちらりと目配せをすれば、呆けた顔の機体は動こうとしない。
この店はそういった輩を置かない筈だったが、これだけ見目が整っていれば押し切られたとしても無理は無いだろう。
しかし物騒な噂ばかり付きまとうメガトロンを客と定め座るとは、このジェットロンも中々肝が据わっている。
――――たまにはスキャンダルもいいだろう。
爺共の妨害に疲れていたメガトロンには、久々の火遊びは随分と魅力的に思えた。
隣の細い腰に腕を回せば、ぴくりと灰色のボディが反応する。
折れそうなほど細い腰は、今宵一晩をどれ程満足させてくれるだろうか―――くつくつ笑いながら、メガトロンはその聴覚センサーにそっと囁いた。
「何か、飲むか?」
「・・・そんじゃあ、エネルゴンジュース」
随分と可愛らしいものを頼むものだ。カクテルですらなく、子供の様な飲み物。
昔手元にいたちびも、確かそんなものが好きだったか。
苦笑しながらバーテンに頼んでやると、それまで固まっていたバーテンは慌てて働き始めた。
その音を聞きながら、抱いた痩躯をもっと引き寄せれば華奢な機体は簡単にメガトロンの腕の中に収まった。
「いつもこんな事を?」
声音には、拗ねた響き。
何だかおかしい、とメガトロンが疑問を抱いた瞬間。
くいと顎を傾け見上げてきた機体に、メガトロンは固まった。
灰色のボディ、細くすらりと伸びた手足。
極めつけにはたはたと揺れる主翼。
記憶の中の、泣きじゃくるちびと全てが合致する。
「スター・・・スクリーム、か?」
ウーマンより細い指がつん、とメガトロンの額を小突いた。
「俺には誰よりも速くなれって言ったくせに、遅いんですよ貴方は」
卓上に置かれたエネルゴンジュースを手にしながら、ジェットロンは艶めかしく微笑む。
メガトロンの呆けた顔が余程可笑しかったのだろう、唇を緩ませ笑う顔は、確かにかつての養い子と同じだった。
*****************************終********
とかまぁそんなメガトロナス×ロリスタ、略してトロリスタでした。
長らく拍手に置いていたものですが、皆様ぽちっと有難うございました。